ソーイング・ビー/sewing_bee2服飾史まとめ
4回 英国・シルク黄金時代
フランスからイギリスに渡った難民がシルクの加工技術が伝える話です
- 1685年、ルイ14世はユグノー(プロテスタント)弾圧
- ユグノー5万人がイギリスのスピタルフィールズに移住
- 技術者:モンジョルジュがシルクの技を持ち込む
ファッション歴史家:アンバー・ブッチャートがファッション蚤の市を案内しながら歴史を解説してくれました。
シルクを織って生地にする前にスチームとワックスをかけて光沢を出したそうで、イギリスのシルク産業が成長しました。
5回 綿と産業革命
- 1631年東インド会社がインド更紗(綿)を輸入、大人気!
- 自国産業であるウールを守る為に政府が綿輸入禁止
- インド⇒英国⇒他国への輸出は行った
- 輸出目的で輸入した税関通過綿をケント州にて密売
- 輸入禁止が解除されたので自国で綿を作ることとなった
肌触りや吸湿性と染色の良さ・洗濯に強いそして何よりも「めちゃ安い」ので、イギリスでインド更紗は大ブームとなる。
地場産業の毛織を守るために政府は綿の輸入禁止・・ですが、実際密輸・密売が横行しました。
また、インド更紗を着用する婦人にインクなげたりドレスをはぎとったりする騒ぎもおきました。輸入禁止が解けてやがて紡績機械が発明されて後のイギリス産業革命へとなるわけです
6回 レオタードとバイオマン
ジャージ誕生と発展の影にダンスあり!のお話
はじめは下着から入りました。
- 1950年代の終わりにアメリカの化学メーカーがポリウレタン弾性繊維開発
- ガードルは売れたがピークを過ぎたころにエアロビクスブーム
- 化繊ジャージはレオタードとして売れ出してきたが、ナイロンが入って蒸れる
- イギリスのダンススタジオ創設者 デビー・ムーアがメーカーに綿混提案
- 進化したポリウレタン×綿繊維は通気性も良くレオタード以外のアイテムも登場
特撮スーツもスーツに伸縮がなかった1975年「ゴレンジャー」はちょっとゆとりが入ってだぼってなり、発色も控えめ。
しかし、1984年の「バイオマン」で伸びる素材になってピチピチすっきりしました。艶と発色も良くて見た目が華やかになりました
スーツのアンダーに使うオペコットは縦も横も伸びる。ひざの皮膚が曲げると倍伸びるように、オペコットもまた倍伸びます。
いまや体をスキャンしてソフトでパターンオーダーも自動で行われています。繊維もパターンも進化しているのです
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- メディア: おもちゃ&ホビー
7回 セーラー服と子供服
- 初めて子供服が注目を浴びたのは皇太子のエドワード7世
- 王室の船の甲板に水兵のセーラー服のミニサイズを着て登場
- 船長でなく、水兵服着用で庶民派アピール大成功!
- そのセーラー子供服は今でも国立海洋博物館に保管されている
- 1875年、皇太子の子供たちがセーラー服を着て写真を撮るとブームが最高潮
上流のお子様は大人と同じようなデザインのドレスを着ていたが、セーラー服は身分に隔たりがなく愛されて大人気
海岸で休日を過ごすのが一般的だったため、丈夫なセーラー服は重宝されたという
セーラー服薀蓄※
- 船上では風の音が強いのでセーラー衿を立てて話してた
- 海で溺れた時セーラー衿は大きくてつかみやすい
- 海で溺れた時襟ぐりが大きいセーラー衿は脱ぎやすい
- スカーフは手ぬぐい的に便利
※俗説もあるそうです
8回 マッキントッシュとゴム引き
トレンチコートやレインコートなどで使う「ゴム引き生地」の歴史から学んでいきます。
スコットランドのマッキントッシュはガス燈から出た廃棄物を天然ゴムに混ぜ木綿生地に圧着して防水加工の技術をあみ出した。
もともとは、廃棄物を使って染料を開発。その過程でナクサという廃棄物がゴムを溶かすことを発見したのだ
ゴム引きが誕生で陸軍や警察北極圏の調査隊から注文が入りましたが、出来たばかりのモノはゴム臭や通気性の悪さなど問題はあった。
駅馬車ビジネス絡みで「トーマス・ハンコック」と手を組んで開発する・・。馬車から降りた客が濡れぬように、防水布が必要だったのです。
こうして少しずつ品質は改善されたおかげで1824年にレインコートはスタートする。
ハンコック・・、ルフィ=ゴム人間だからワンピースの女帝ボアハンコックのモデルじゃないかとうわさがあります・
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9回 ミシンと月賦
足踏みミシンから電気モーターミシンへの変換の歴史です。家中に有るもので家そのものの次に高いといわれた電気式ミシン・・一般人には高嶺ならぬ「高値の花」でした・・。
ミシン技術者と社会史学者がミシンの歴史を解説します
- 1935年当事、電動ミシンは一般家庭の平均年収の半分
- 送り歯スムーズ・早い・縫い目の長さ調節可能で人気
- アイザック・シンガーが分割払い(月賦)を考案※
- 弁護士エドワード・クラークが共同購入を考案
- 分割払い・シェア払いによって1950年には家庭にミシンが復旧
※
ソーイング・ビーやシンガー公式では月賦はシンガーが考案ってなってますが、WIKIでは1807年にアメリカの家具販売業者「クーパースエイド・アンド・サン商会」が最古で採用したとあります。
真偽はわかりませんが、メジャーなところではシンガーのミシンや、1919年ゼネラルモーターズが割賦販売専門の金融会社創設などがありるので家具屋さんの件は埋もれやすいのかもしれません
ミシン戦争で活躍した、弁護士エドワード・クラークが考案した、共同(親戚や村のグループ)で払ってみんなでミシンを使う・・。今で言うところのシェアを考えつくのはなかなか凄いです。・・・が、
ミシンを共同で使う・・私はコレお勧めできません。ミシン=機械って使う人との相性があって雑とか丁寧とか関係無く、なんらか癖らしきものがあるのか?、誰かが使うとその後糸調子が悪くなるってことが現代の洋裁教室が専門学校にもあったりしますので・・。
アイザック・メリット・シンガー
シンガーミシンの創業者は岩盤掘削機械なども作った発明家で旅役者もやってて結婚・離婚も多くて挙句ミシンの特許で裁判で長く争う=ミシン戦争もやらかす波乱万丈人生を送っています。
シンガーのミシンは一からの発明ではなく、実用性が乏しいものを針やらボビンなど改良して1850年に誕生させています。(1851年8月12日に特許を取得)
しかしすでに仕組みの違いなどあれど、4社から電動ミシンは作られていました。
その後、5社のミシン会社が我こそミシンのパイオニアだと裁判で争う=ミシン戦争が起こりました。
長く争った結果、1856年世界初の「パテントプール(特許の共有)」で手打ちとなりました。詳しい事は以下をご覧ください(難しいから丸投げ)
つかBBCさん、この辺の話をピックアップして番組作ってください~。
https://sewingmachine.mobi/battle_sewingmachine/
singer.happyjpn.comミシンやウィンチェスター銃の原型や安全ピンを発明した方
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【布プリブログ動画】印刷出来る布の解説【ねこねこ日本史 沖田総司】
10回 バイアスカットの女王
第一次世界大戦後、コルセットや下着でガチガチだった服装に対してナチュラルを提案したフランス産まれのデザイナー「マドレーヌ・ヴィオネ」のお話です
- 薄くてしなやかな生地をバイアスカットして服を作る
- 型紙無し・小さいマネキンに貼り付けて切る※
- ギリシャ神話のようなドレープ感あふれるドレスを創作
※ドレーピングといいます
バイアスカットを服製作に使われることは過去ありましたが、服全体のシルエットに利用したのはマドレーヌ・ヴィオネです
斜め切ると切り口からして伸びます・・。縫うと更に伸びるので縫製に技術がいる。なので普通にカットして作るより時間がかかります
炭治郎の市松
左の画像はノーマルで右の画像がバイアスです。バイアスの良さを発揮できるような柔らかい生地でないですが、それでも少しシルエットがダラリとしてボディーに吸い付いています
そしてシルエットだけでなく、市松模様もスタイリッシュに変化しました。鬼滅の刃の世界がジョジョの奇妙な冒険ぽく変化しました。バイアスは生地柄の印象も変える事が出来る手法です